奇経八脈とは 

 

経絡(ツボの流れ)には、正経十二経(手の太陰肺経、手の陽明大腸経、足の陽明胃経、足の太陰脾経、手の少陰心経、手の太陽小腸経、足の太陽膀胱経、足の少陰腎経、手の厥陰心包経、手の少陽三焦経、足の少陽胆経、足の厥陰肝経)以外にも、奇経八脈の概念があります。

 

 

奇経八脈と経水についての私見

 

奇経八脈には、経水という概念があります。

経水とは、古典では、経絡を流れる気血とされていますが、アタシ的には肉体内の液体に含まれる、錯体による電磁誘導であると確信しています。

(“日月神示”表記の腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン、その段階の心(靈)の発現、その進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階))

そして奇経八脈の流れは、十二の正経脈を、縦や横や斜めにつないでいます。しかしそれは相対的に観れば、肉体の“上”と“下”をつないでいると思われます。

ことに経水は、督脈と任脈に深くかかわっているとされ、それは、東洋医学の概念の三焦に大きくかかわっているとされていますし、督脈と任脈が“下”から“上”に流れていると表記されている根拠であると思えます。

また、三焦が、“腑”(消化器官)とその機能により起きている電磁誘導で、下腹部、上腹部、そして胸部において貯められる電気容量(“臓”)そのものであるとの私見を持っています。

(このことについては、

太陽凝視を行っている鍼灸師の話“改”

 http://tuyukusanotuyu.dtiblog.com/ で述べています)


 

三焦の私見

 

三焦は、上焦、中焦、下焦、と言い表されています。

 

東洋医学の概念の“臓腑”の腑は、“六腑”(小腸・大腸・胃・胆・膀胱・三焦 )とされていますが、三焦というのは、現時点、特定の内臓に当てはめて考えられていないし、解剖学的に見ても、特定の臓器に当てはめること事態が無理があると思われます。

 

上記の十四系発揮からの引用の図では、中焦以下の“腑”は、主に、横隔膜(“日月神示”表記の“戸”、マニピューラチャクラからアナハタチャクラへの関門)から“下”であり、東洋医学の古典では、水穀の精微の吸収と気の生成にかかわるものとされています。

 

そして同様に、東洋医学の古 典の概念としての上焦の機能として、水穀の精微は、脾の運化作用によって肺に送られ(上輸)、肺に送られた水穀の精微は、穀気・津液・営気などに分けられ るとされ、また、穀気は、空気中から得られた天陽の気と合わさって宗気となり、これが腎からの先天の気と結合して、元気となる…とされています。

 

ですから、特定の臓器に三焦が存在するのではなく、“腑”の機能は、異物の取り込み(物質を取り込むこと、食事。 生物学的な言い方なら捕食)による電磁誘導であり、それが“下”から“上”に向かい、変容していくことを古典で言い表したのが三焦の気であるとの解釈をしています。

その三焦の気が、“下”から“上”に向かい、それは、先ほど述べた、上焦の機能として、水穀の精微は、“臓腑”の“臓”(“月”ニクヅキと蔵で構成される表記は、コンデンサーであるとの私見を持っています)の、

脾の運化作用によって、同じく“臓腑”の臓である肺に送られ(上輸)、肺に送られた水穀の精微は、ここではじめて、穀気・津液・営気などに分けられる。   

また、穀気は、空気中から得られた天陽の気と合わさって宗気となり、これが腎からの先天の気と結合して、元気となる。

この、原気が、上焦の機能、 呼吸の機能により、空気と反応した気(これ以外にも考えられますが)、それが、天陽の気(これは“上”からの荷電粒子、例えば太陽からの電磁波、宇宙線、 普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射))と合わさって宗気となる…と称されていると思われます。


 この文章は、手の少陽三焦経と重複しています。


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